現地レポート

終わらない、高校生たちのストーリーRSS

2012年12月30日 19時20分

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さまざまなストーリーを紡いだ「東日本大震災」被災地復興支援 JX-ENEOS ウインターカップ2012 平成24年度 第43回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会は、昨日、すべての日程を終えて閉幕した。


男子優勝のこのレポートで紹介しきれなかったが、宮崎・延岡学園は、インターハイ後のコーチ交代により一時チーム内の空気が淀んだが、その苦しい時期を乗り越えての大会2連覇だった。女子準優勝の愛媛・聖カタリナ女子は、インターハイ優勝の愛知・桜花学園を追いかけながら、一方でそれ以外のチームから負われるプレッシャーを感じながら、最後の舞台まで勝ち上がった。勝ったチームには勝ったチームの、負けたチームには負けたチームのストーリーがあり、そのストーリーは次のチームへと引き継がれていく。それがチームの歴史となり、伝統となる。


女子3位の千葉・昭和学院の1年生、赤穂さくらはインターハイで桜花学園の3年生センター、河村美幸とマッチアップし、ウインターカップでは埼玉・山村学園の3年生エース、増岡加奈子とマッチアップした。チームは違えども、赤穂は2人の3年生から多くのことを吸収したという。


「河村さんについたときは、センターとしての押し合いや裏を取ったり表を取ったりするかけひきを学びました。増岡さんからはクイックネスや大きい選手に対してのフェイクの仕方などを学ぶことができました。」


赤穂もまたこれからの高校女子バスケット界、そしてその後の日本女子バスケット界を引っ張っていく存在になりうるだけに、こういった経験は彼女にとってとても貴重な財産になる。


男子3位の京都・洛南2年の森井健太は、3位決定戦こそベンチスタートだったが、それまでは3年生主体のチームでスタメンの司令塔としてコートに立っていた。


「練習中から3年生に学ぶことはたくさんありましたが、そんな中でも自分が3年生を引っ張っていくような気持ちでやっていかないとポイントガードはできないと思って、ずっとやってきました。準決勝では自分が不甲斐なく、3年生に申し訳ないプレイばかりでした。もう立ち直れないかなと思ったのですが、3位決定戦は3年生とプレイできる最後の試合なので、自分の力を出して、リングに向かうようにしました。」


その言葉どおり、3位決定戦では、劣勢のなか、森井のバスケットカウントから洛南は逆転の流れを作った。


 



今年ノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授が、その受賞式後にこんなことを言っていた――授賞式も終わり、ノーベル賞は私にとって過去形になります。これからの研究が本当に大切です。


その言葉は赤穂や森井ら、全国すべての2年生、1年生に通じるものである。ウインターカップ2012はもはや過去であり、これからの練習が本当に大切になるのだ。


「最後に逆転のシュートを決められなかったので、まずはメンタルの面を強くして、もっと集中してイージーシュートを確実に決めたり、プレイ範囲を広げていきたいです。」


赤穂がそう言えば、森井はこう続く。


「今年は3年生が中心だったので来年は戦力が落ちますけど、先輩たちの倍以上練習していくしかありません。個人的には弱点であるシュート力を向上させるべく、外からのシュートの確率をこれまで以上に上げて、来年こそは優勝したいです。」


初の広島開催となったウインターカップ2012は終わったが、高校生たちのストーリーに終わりはない。



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尽誠学園の信じるチカラRSS

2012年12月29日 16時36分

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理論物理学者として有名な、かのアルベルト・アインシュタインが言っている――他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ。香川・尽誠学園の野田康平はまさにその言葉どおりの高校3年間を送った。


「雄太、残り時間を見ろ!」「寛大、手を上げろ!」 「我慢、我慢。今、我慢だぞ!」


ベンチで誰よりも声を張り上げ、気付いたことをコート上のメンバーに伝えていく。シュートが決まれば飛び上がり、ベンチメンバー全員とハイタッチをかわしていく。


「ベンチメンバーがコートの中のプレイヤーを信じて、雰囲気を盛り上げていけば、コートの中は持ち上がるという気持ちだけでした。」


野田はそのように言うが、そういった声かけや応援は想像以上にコート上の選手たちの力になっていた。エースの渡邊雄太は言う。


「野田はボクがちょっとイライラしているなと感じたら、いつも『まだ大丈夫だから、落ち着いて』と声をかけてくれます。そうしてくれることで本当に僕自身も心にも余裕が生まれて、プレイに集中できるようになります。普段の生活でも、3年間同じクラスで、僕が精神的に落ち込んでいるときに声をかけてくれたり、僕にとってはあいつの存在が本当に大きいです。」



渡邊だけではない。主力の7人はみんな同級生なのだが、連戦の続く試合のあとなどにはその7人に自ら「マッサージ、必要ない?」と聞いてくるそうだ。


だが色摩拓也コーチは今大会のエントリーメンバーを選ぶ際、その野田を落とそうと考えていた。今年のチームは渡邊ら3年生中心のチームで力もあるが、来年のことを考えると少しでも1・2年生に全国のレベルを経験させておきたい。試合に出場する可能性が少ない3年生には「メンバーに入れない可能性があることをわかっていなさい」と伝えていたという。


しかし遠征でチームを2つに分けて、野田らを学校に残した際、一緒に残った下級生たちの部活ノートに「野田さんが『自分たちは遠征に行っていないけど、行っている選手よりもいい3日間を送ろう』と言ってくれた」と書かれていた。また5対5の練習でも渡邊中心のAチームに対して、野田はAチームの甘くなりそうなところでシュートを決めて、注意を喚起する。裏方のことがしっかりでき、なおかつ自分のプレイもしっかりと表現できる。色摩コーチはいつしか「この子はウインターカップのメンバーに入れなければいけない」と心変わりをしていた。



ウインターカップでチームは2回戦で埼玉・正智深谷にリベンジを果たし、準々決勝、準決勝も厳しい試合を勝ち抜いて決勝戦へと進んだ。準々決勝の福岡・福岡大学附属大濠との試合後、野田について聞かれて色摩コーチはこう言っている。


 



「昨年もそうだったんですけど、3年生が着替えを持ってきたり、水をすぐに渡したり、片づけでパッと動ける年のチームは強いということを言ってきました。今、野田のやっていることがチームを救ってくれているかなと思います。」


そしてこう続けるのだ。


「野田こそチームの象徴というか、これぞ尽誠バスケットだと思ってください。」


「東日本大震災」被災地復興支援 JX-ENEOSウインターカップ2012 平成24年度 第43回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会の決勝戦では、宮崎・延岡学園に[68-66]で敗れた。しかし野田は最後の最後までコートの上の同級生を信じ、声を出し続けていた。


「全国優勝を目標にしてきたので準優勝は悔しいですが、チームメイトには感謝しています。他にもエントリーメンバーに入れなかった3年生がいるなかで、そのみんなの気持ちを最後まで信じてプレイしてくれたから、感謝しかないです。」


最後までチームメイトのために尽くし、感謝を忘れない野田は2012年度の尽誠学園バスケットボール部にとって、とても価値のある「15番目の男」だった。



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もう一度、明日…RSS

2012年12月28日 19時53分

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「強いチームが勝つのではない。勝ったチームが強いのだ」――スポーツの世界でよく聞く言葉だ。


ウインターカップ直前の練習試合では15点差で京都・洛南が勝っていた。敗れた香川・尽誠学園の色摩拓也コーチは、点差以上に完敗だと感じていたという。しかし選手たちには「実力が上の者が勝つとは限らないのが全国大会。負けたくない気持ちや一発勝負のプレッシャーに打ち勝てるようにしなさい」と伝えていた。その結果が[66-63]の勝利に結びつき、2年連続の決勝進出となったのである。


「ベスト4まできたら何が起こるかわかりませんし、昨年も尽誠学園に練習試合で勝って、ウインターカップでも勝てるという思いで対戦して負けました。だから今年は油断をせずに自分たちのできることを全力でやろうと最初からみんなで決めていました。」


敗れた洛南のキャプテン、#4河合祥樹は尽誠学園戦をそう振り返る。その言葉どおり油断はなかった。大会前に怪我人は出たものの、チームの状況は決して悪くなかった。モチベーションも高かった。だが最後の詰めが甘かったと河合は認める。


「第1ピリオドから渡邊(雄太)くん以外のところでやられないようにということと、全員でリバウンドを取ろうというところを意識していました。でも第3ピリオドの初めから渡邊くんや川上(潤平)くんに以外のところでリバウンドを取られたり、ルーズボールで負けたことで気持ちよくスタートが切れなかった…絶対に徹底しなければいけないことをできなかったことがこの結果になったのだと思います。」


リバウンド、ルーズボールへの不徹底。そのことに河合自身も徐々に心を乱され、最終盤の雌雄を決する場面で2度シュートを外している。1本は渡邊にブロックされ、もう1本は「まっすぐ打つことだけを意識して打って、自分では入ると思ったシュートが外れた。


河合は夏のインターハイ決勝で勝負強さのなさを露呈した。それを試合直後に自分でも認め、冬までに克服したいと言っていた。


「夏以降、できるだけのことはやってきました。インターハイではシュートが入らなかったり、詰めが甘かったり、ミスが多かったりしたので、今回は常に集中して、これまでは『外れてもいい』くらいの気持ちでシュートを打っていたんですけど、今回は一本一本を大切に、全部決める気持ちで打ちました。その結果、つなぎの部分では決めることができたので、そこは夏よりも成長できたところだと思います。」


だが今日も最後の重要な場面で決められなかった。そのことには悔いが残る。


「今日でこの負けは切り替えて、明日は銅メダルであってもメダルを持って帰りたいと思います。」


準決勝で負けた選手が気持ちを切り替えるのは簡単ではない。だがウインターカップの協賛企業であるナイキの創始者、フィル・ナイトは言っている――チャレンジしなかったら、成功するかどうかさえわからない。


気持ちを切り替えて、本気でチャレンジをすれば、勝敗以上の何かをつかめるはずである。明日、もう一度…


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