現地レポート

FIBA ASIA選手権 第3位のU-16日本代表のプレイに括目しよう!RSS

2011年12月25日 20時27分

今日行われた男子2回戦は2点差の接戦あり、昨年の準優勝校が敗れる波乱あり、そして圧倒的な100点ゲームありと、さまざまな表情を見せて、ベスト16が決定しました。


本日の最終ゲーム、東京・京北と鳥取・県立鳥取東の一戦は、京北が序盤こそ波に乗り切れませんでしたが、徐々にペースをつかんで【83-64】で勝ち、3回戦に進みました。エースは昨年からチームを引っ張っていた田渡凌選手。その脇を固めるのが池田慶次郎選手と北村正人選手です。この3人の3年生を「三銃士」とすると、新川敬大選手はさしずめダルタニアンといったところでしょうか。


この京北のダルタニアン、1年生ながらチームに欠かせない存在になっています。彼の持ち味はなんといってもアグレッシブさ。積極的にオフェンスリバウンドに飛び込み、チームの流れを掴みます。これは中学時代から変わっていない彼のスタイルです。


「中学時代はインサイドでプレイすることが多かったんですけど、高校に入ってからは先生(田渡優コーチ)から『アウトサイドのシュートも打て!』と言われて、最近は外も打つようになりました。自分としても、インサイドもアウトサイドもできるようになればいいかなと思っているので、これからだと思っています」


アグレッシブさを変えることなく、インサイドもアウトサイドもプレイできるようになれば、今まで以上にやっかいな存在になるでしょう。田渡コーチとしても次代のエース候補として育てているのでしょう。


この新川選手、10月にベトナム・ニャチャンで行われたた「第2回FIBA ASIA U-16男子バスケットボール選手権大会」で銅メダルに輝いた男子U-16日本代表のスターティングメンバーでもあります。新川選手にとって初めてのFIBA ASIA選手権は、彼自身の新しい扉を開いてくれたようです。


「自分は京北のなかでは大きいほうなんですけど(186cm)、世界に出れば小さかったことや、世界に出れば生活環境などが悪くなってもプレイしなければいけないってことなどを後輩たちに伝えていければいいなと思っています。プレイ的にも背の大きい相手を守ることが多くて、下でスティールを狙うことなどは得意になって、この大会でも生きていると思います」


これまでもウインターカップを通過点にして、多くの日本代表選手が生まれてきました。しかし2年前に創設された新カテゴリー、U-16日本代表の選手たちはウインターカップを経験する前に――インターハイや国体は経験していますが――国際大会を経験しているのです。この経験は大きな意味を持ちます。男子U-16日本代表選手で、明日以降にこの大会で見ることができるのは新川選手と、福岡・福岡大学附属大濠の青木保憲選手、杉浦佑成選手の3人だけ。FIBA ASIAで第3位のプレイとはどんなものなのか、是非注目してもらいたいと思います。

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Bコートに棲む魔物、ふたたび…RSS

2011年12月25日 18時30分

ウインターカップには、ある都市伝説のようなものがあります。それは「Bコートには魔物が棲んでいる」というものです。たとえば2005年の第36回大会の女子・準々決勝。吉田亜沙美選手(現JXサンフラワーズ)擁する東京・東京成徳大学はBコートで福岡・中村学園女子に敗れました。その翌年、同じく女子・準々決勝、服部直子選手(現デンソーアイリス)擁する愛知・桜花学園高はBコートで岐阜・岐阜女子に敗れています。Bコートには魔物がいると囁かれるようになったのは、そのあたりからです。いや、もしかしたら、もっと前から言われていたのかもしれません。


しかし2008年からコート展開が体育館のメインコートが3面とサブコートの1面、あわせて4面展開になると――それまではメインコートが4面、サブコート1面の計5面展開でした――Bコートの魔物は陰をひそめていたのです。そして昨年、インターハイ準優勝の宮城・明成が静岡・沼津中央に2回戦で敗れたのがAコートだったので、魔物はAコートに移住したのではないかと思っていました。




しかし、やはり魔物はBコートにしっかりと巣を作っていました。昨日の福井・北陸に続き、今年のインターハイ準優勝チームで、昨年のウインターカップの準優勝チームでもある福岡・福岡第一が、Bコートで香川・尽誠学園に【70-86】で敗れてしまったのです。


もちろん昨日の勝者である青森・県立弘前実業や、尽誠学園に勝つだけの実力があったということは紛れもない事実です。それを“魔物の力を借りて”などと言うつもりはありません。しかしながら、敗れた者にとってはやはり“魔物にとりつかれた”感覚だったのではないでしょうか。


福岡第一にとっての最大の魔物は、大会直前からチームにとりついていました。インサイドの要であるゲエイ・マリック選手が21日の練習で膝を怪我してしまったのです。また、スタメンポイントガードに起用しようとした大城侑朔選手も怪我をしてしまい、何とか動けるまでに回復したところだったそうです。しかし「それは仕方のないこと」と井手口孝コーチも、鵤誠司選手も言っています。


「逆に彼の分までって硬くなった上に、前半のファウルトラブルで守れなくなって…悪いほう、悪いほうに転がってしまいましたね。調整はうまくいっていたんですが、直前になっての怪我も含めて、なんかうまくいかなかった…それは仕方がないんだけど、やっぱり1年間通して、練習を見られない時間が多かったので、なんとか取り戻そうと頑張ってみたんだけど、逆にそれが悪いほうにいってしまったのかもしれません。初戦ということもあったでしょうね」(井手口コーチ)



「自分たち3年生にとって最後の大会ということで、勝たなきゃいけないっていう気持ちが強すぎて、その気持ちがおかしな方向にいったように思います。マリックが怪我をしたときは動揺もありましたけど、今日はそのことを意識することなく、マリックがいないときの練習もしてきていたので、怪我人がいるからどうこうというのはなかったです。ただ昨年、一昨年とチームがよくまとまっていたんですけど、今年はリーダーシップを発揮するような人もいなかったし、そこの部分が少し足りなかったかなと思います。試合に出ている人も、ベンチの人も一丸になってないわけではないんですけど、少しそこの部分が甘かったように思います」(鵤選手)


彼らにとってはインターハイ以来の公式戦。ウインターカップの予選はインターハイで準優勝したことで免除されていますし、国体にも出られませんでした。福岡県の総合選手権には井手口コーチが男子U-16日本代表のアシスタントコーチとして「第2回FIBAアジアU-16男子バスケットボール選手権大会」に出場していたので、チームを見られなかったそうです。もちろんアシスタントコーチはいますが、その期間に自分たちでチームをまとめ上げることができれば――スポーツに「たられば」は禁物ですが――また違うチームに変わっていたのかもしれません。



「周りの人はみんな『優勝だ、優勝だ』というもので大変なんだけれども、負けちゃならない、負けちゃならないって思ってこれまでやってきたから、バスケットそのものをもう1回見直して、どんなことがあっても崩れないようなチームを作り直していかないといけないですね」


不思議なもので、たとえ初戦で敗れようとも「強豪校」の看板が下ろされるわけではありません。一度でも優勝をしたり、何年か続けて上位に進出をすると多くのファンの目には「それでもやってくれるはず」という勝手な思いが起こるものです。選手たちにとってはそれがプレッシャーになるのかもしれませんが、そのプレッシャーに打ち勝って、再び福岡第一が輝きを放ってくれることを期待します。そして井手口コーチの言葉にもあるように、「どんなことがあっても崩れないチーム」、Bコートの魔物にも屈しない強いチームになって戻ってきてくれることでしょう。


こんなときに頭をよぎるのは決まって『スラムダンク』(集英社・井上雄彦)の名言です。


「はいあがろう。“負けたことがある”というのが、いつか、大きな財産になる」


ありきたりですが、この言葉をこれから福岡第一を引っ張る1、2年生と、今日一番悔しい思いをした鵤選手ら3年生に贈ります。


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まだまだ続く成長ストーリーRSS

2011年12月25日 14時00分

「JX-ENEOSウインターカップ2011」、女子のベスト8が決まりました。


県立金沢総合
桜花学園
東京成徳大学
札幌山の手
明星学園
山形市立商業
岐阜女子
大阪薫英女学院


以上の8校です。顔ぶれを見るとやはり全国でも「強豪校」と呼ばれるチームばかりです。もちろんそれはコーチやスタッフ、そして選手たちがこの大会に向けてしっかりと準備し、それをコートの上できちんと遂行した結果でしょう。「いいメンバーが集まっているから勝てるんだ」という考え方をする人もいるかもしれませんが、それだけで勝てるほど高校女子バスケット界は甘くないのです。


「ゲームの最初、弱気になってしまって、自分のプレイができなくて、そこから自分で奮起することができませんでした。でも最後まで諦めたくなかったし、いけると思っていたけど、プレイで示せなかったから…。3年間、いろんな人にお世話になったのに結果を残せなくて、本当に申し訳ないという思いでいっぱいです」


岐阜女子に敗れた愛媛・聖カタリナ女子の近平奈緒子選手はそう言って、目に涙を浮かべていました。試合終了数分前にベンチに下げられ、試合終了のブザーをそこで聞くことになったのですが、ベンチにいる間も、試合が終わった直後も涙を見せることはありませんでした。だがしかし、思いがお世話になった人たちに及ぶと涙腺をキッチリと止めることはできませんでした。


近平選手は昨年の「第1回FIBA U-17女子世界選手権大会」で第5位になったU-17女子日本代表のメンバーであり、今年9月にイタリアで行われた「第1回3×3ユース世界選手権」で銅メダルになったU-18女子日本代表のメンバーでもあります。しかし、そのイタリアでヘルニアを発症していまい、そこからは怪我との戦いでした。この大会も痛み止めを飲んでプレイしていたそうです。


「治療の期間を2カ月くらいもらっていたので、痛みも結構とれていました。だから腰の痛みを言い訳にせず、怪我のことは忘れて思い切ってやろうって思っていました」


と彼女は言います。確かにプレイは痛みを感じさせるものではなく、コンタクトの多いインサイドで、文字どおり体を張って、チームの大黒柱になっていました。


思えば、彼女を初めて見たのは、彼女が中学2年生のとき。「U-15女子トップエンデバー」に選ばれ、国立スポーツ科学センターで(当時はまだ味の素ナショナルトレーニングセンターができていませんでした)その合宿に参加していたのです。その当時から180cmくらいあり、接触を嫌がらず、苦手なフリースローを克服しようと一生懸命練習に取り組む中学生でした。そんな大人びた面を見せる一方で、バスケットシューズのラインがピンクという中学生らしさも当然ながら持っていたのです。その彼女が高校生活最後の試合を終えました。


「高校1年生のときはとにかく先輩たちについていくばかりだったし、中学のときも自分のプレイばかりを考えていたけど、高校3年生になったら自分のことだけではダメで、周りのことも注意しないかんし、後輩を怒ったりしないかんって、自分のことではなくて、周りを見れるようになったかなと思います」


それが試合中にけっして諦めることなく、追い上げてきたときに「前から、前から!」とチームメイトを鼓舞する力になったのでしょう。卒業後もバスケットを続けるそうなので、まずは怪我を治し、次の舞台でも高校時代に培ったものを生かして、さらに成長してもらいたいと思います。


 



成長といえば、同じ聖カタリナ女子の2年生ガード、田村未来選手はこの1年で大きく成長を見せてくれました。昨年のウインターカップでブレイクをした彼女ですが、そのときはとにかくゴールに向かうだけの「突貫娘」というイメージでした。それが1年経ち、今では聖カタリナ女子の正ポイントガードとして、ゲームをコントロールしています。この1年を振り返って、田村選手はこう言っています。


「昨年はただ思ったままにプレイしとったけど、今年はちゃんとディフェンスがこう動いたからこうしようとか考えて練習をしてきました。でもやはり今日の試合でも大事な場面で自分の本能でプレイして、ミスが出てしまったから、来年はどんなときでも頭を使ってバスケットができるようにしたいです」


今日のゲームではチームトップの18得点を挙げていますが、そのいっぽうで言葉にもあるように、両チームトップの8ターンオーバーを犯しています。彼女自身が望んでいるように、まだまだ成長の余地はありそうです。


来年は同じコートに立つことができませんが、それでも近平選手も田村選手もそれぞれの舞台で成長した姿を見せてくれるでしょう。彼女たちの「JX-ENEOSウインターカップ2011」は終わりますが、彼女たちの成長物語はまだまだ始まったばかりなのだから――。

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